あるべきようわ。こんばんは。
心理カウンセラーのよこたにです。
今回は根本裕幸お弟子講座の先輩にあたるふぁーこカウンセラーとのブログ間文通の第8回(よこたに返信分)になります。
〇〇これまでのやりとり〇〇
♡ふぁーこカウンセラーからの第一回 「投影って、ややこしいですよね」
♡ふぁーこカウンセラーからの第二回 「いっしょに「蚊想通貨」をつくってみませんか?」
♡ふぁーこカウンセラーからの第三回 「はぁ・・・人生って難しいなぁ(今更)」
♡ふぁーこカウンセラーからの第四回 「自己受容・・・言うは易く行うは難し・・・」
ふぁーこカウンセラーからの第六回 「わたしが思う「こういうふうに大切にしてほしい」と、この人の思う「大切にしてほしい」は違うのかもしれないとか」
♡ふぁーこカウンセラーからの第七回 でも言葉が足りない。どうやったって言葉が足りません。
ふぁーこカウンセラーからの第八回【ブログ間文通8】「これも私なりの自分を大切にする方法でごさいます(笑)」
ふぁーこさんへ
旧暦の新年も過ぎましたがあけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。めっちゃ久しぶりで申し訳なさすぎますが、よろしくお願いいたします。
まつぼっくり………まつぼっくり…まつぼっくり…(困惑)竹ほどは困らないですけれど、まつぼっくりもいただくとなるとなかなか…。小さくても109個ってそこそこの嵩がありますよ。後、なぜ109個なんだろう(笑)。煩悩を超えていけってことかしら。ダイオウマツのまつぼっくりならスズメバチ除けになりますね。でも鍋のツマミには耐久性としてきびしいです(笑)洗ったり触ったりしているうちに割れそうです。冷凍庫にキープするのも、保存袋に入れていたとて後日見つけた時にかなりの衝撃ですよね。自分以外の人が見つけた時に説明するのが難しそう(笑)………次は梅が来るのかしら!
そう言えば、SixTONESのYouTubeで流しそうめん(などを竹を使って流す)回があり「竹だ〜( ╹▽╹ )ふぁーこさん、竹だよ!」と思って観ていました。SixTONESの話題が出たのでこのままSixTONESの話をすると、もちろんYouTubeも観ていますしラジオも聴いています。去年前半に行われたツアーのDVDの販売もされ、デビュー6周年のベストアルバムも発売されました。TVでも毎週日曜日21時からの冠番組も始まって、楽しそうにゲストをお迎えしたり、ゲームをしている等のグループの仲の良さにほのぼのしたり、と変わらず応援しています。「変わってるなあ(笑)」と思うことはあっても全然嫌いになりません。また、今年はデビュー6周年ということでYouTubeで生配信もありました。
去年はジェシーさんの舞台と、髙地優吾さんの舞台も観ることが出来ました。音楽のLIVEではないけれどやはり生で観られる舞台は良いなあと思います。それぞれの舞台はすてきで、他のメンバーの舞台も観てみたいなあと楽しみになりました(舞台もチケットがなかなか当たらないのです)(でも、今年のツアーのチケットが当たったので行ってきます☆)
ふぁーこさんが中国のドラマにハマっているということでしたが、今も、さらにハマっておられるのかしら。推しの俳優さんは増えましたか?何か自分の好きなジャンルのことを語るのはめちゃくちゃ恥ずかしいのはわかります。SixTONESのことをふぁーこさんに語るのも結構恥ずかしかったりするんですよ。ふぁーこさんはSixTONESのことをちゃんと知ってくれて親しみも持ってくれているのに、でも何か恥ずかしい!
実際のところファンとしては知識が無いし、生活の全てをSixTONESに捧げているわけではないんですよね。(ファンの方の多くは多分そうだし、こういうことを言うのも…とも思います)
寝食以外の時間を全てSixTONESに使えば、いろんな知識も増えるし、系統だてていけると思うけれどそれは無理…。そう考えたら、ファンだよ!と名乗るのはおこがましい気がしてしまうのです。ファンなのはファンなんだけど、「好きーーーーっ」って言うのは恥ずかしい。で、わたしがSixTONES愛を語る相手は大体がSixTONESファンでは無いので(笑)「わたしの語る内容に興味無いだろうから、そのくくりでSixTONESのことを熱く語られても、興味が無い分野のことだと、相手はどう対応したら良いか困っているのでは?」と思ってしまうのです。
※わたしが学生の頃に、いろんなヲタクの人が居て、ものすごい勢いで自分の推しについて語られたのです。相手も「興味ないとは思うんだけど(笑)」と前置きを入れつつ語ってきてくれて、その姿はすてきだと感じましたが「興味がない相手だと分かっていても、語りたいほどの愛情」という「同じ熱量」で聴けない事が申し訳なくって。
とにかく、自分のことや好きなものを語ることは恥ずかしさがどこかにあります。知られたくない方には当然語らないけれど、知ってほしい相手に対しても恥ずかしい。この、面倒くさい様子(笑)他人が好きなものを語っている姿は良いのに自分が好きなものを語るのは本当に恥ずかしくて………でも、これは自分の「エネルギー」をある意味抑え込んでいるだけだと思うので、もっとすなおになろうと思います。
ふぁーこさんが行ってこられた美術館の写真もめちゃくちゃありがとうございます!自分の知らないものを見せてもらえてうれしいです☆自分自身は貨幣はノーチェックでした。物々交換ではなく、「お金」という共通のもので取引しましょうという概念?が世界各地で出来ていく、というのが面白いなあと思います。(GOLDがどこでも価値が高いのも、すごい)美術館や博物館に行くことも、わたしの好きなことの一つです。「知らない」「美しい」「興味深い」ことやものが、いっぱいあるでしょう。それを感じるのが好きなのです。見て、感じる。その瞬間が好きです。後、わたしには出来ない「根気」や「技術」を感じるのも好きです。
好きなジャンルやアーティストさんの作品展があると分かればできるだけ観に行けるように都合を付けます。が、観たいものが無ければ1年位何も見ないこともありますよー。映画とかもそうですね。
ところで去年も暑い夏でした。一昨年の夏の暑さが「1」なら、去年の体感は「2.3」です。(※よこたにしらべ)毎日頭皮からも汗が噴き出し、ネックチューブが無いと外出できない。日差しがきついのでサングラスも欠かせません。そうですね、イメージしてもらうとすれば、健康診断で血圧測定する機械に腕を入れると周囲から圧がかかってくるでしょう?あんな感じの『暑さの「圧」』に腕だけじゃなくて体全体が押されまくる感覚があったんですよね。
そんな日々でしたが今は1日の終わりにお風呂に入れています。なぜかと言うと最近は実家に帰っていたことが多かったからです。実家に居ると朝にお風呂に入るというのが難しく(他の家族が朝風呂所望のため)、夜に入っていました。また、わたしの後にお風呂に入りたい者か゚いる時もありますので、寝落ちしているわけにもいかないという…(笑)確かにその日のうちに入浴が終わると体は楽ですね。
パーツごとに洗っていくという発想は無かったですね。それも楽なのかも!延べ時間を合計すると意外と長くなるかもですが。それより私は彼さんの長湯ぷりが興味しんしんです。恐らく私みたいにお風呂で寝入ってしまってるわけではないと思いますので、よほどあの温かいお湯の中にいることが快適なのだろうなと思います。あの温かさの中にいると動きたくなくなります。…寝落ち無しとして、わたしは何時間くらいお風呂に入っていられるんだろう。※寝落ちで2時間位はあったと思いますが、多分3時間とかは無いと思います。
ふぁーこさんの言うとおりお風呂後の関連作業?ってめちゃくちゃありますよね。入浴後の保湿だのドライヤーだのは特にめんどくさいです。中でも夏のドライヤーは熱くて暑すぎます。肩から下は汗だくになってくるし…でもきっちり乾かさないと髪の寝癖がつきやすいし…(元から癖毛だろ?というツッコミは不可)風呂の後に髪の毛乾かして、保湿クリーム塗って、足のマッサージして…ってだけでも意外と時間がかかります。使用後のお風呂を洗ったりする時もあるし、さらにストレッチとかヨガとか瞑想とか日記書くとか読書とかしたいところでもありますが、それやってたら多分睡眠時間がなくなります。
ともあれ、期せずして実家で過ごすことが多かったため、いろんな意味で、自分について考えざるを得ない時間が増えました。
実家に居ると、どうしても幼少時からのいろいろな記憶がよみがえってきてつらくなることがあります。「なぜあの時、あんな言われようをしたんだろう」「………しんどかった………」といった細々した記憶が、芋づる式に出てくる出てくる!
そういう時は「なぜそのつらさを手放せないのか」「これがここまで心に引っかかっているということがもたらすメリットとは?」を考えるようにしています。すぐに結論は出ませんが、問題提起しておけばいずれまた答えも出るだろうと思います。
最近よく出てきてるのが
「ここはわたしの場所じゃない」
「わたしがいる意味がない」
「わたしがいると迷惑だ」などです。
「自分の居場所が無い」という感覚は小さい頃からずっとあったなーと思い出してきたのですよね。物理的にそれは違うと言われそうですが、本人の体感としては自分の存在価値を感じることが難しい環境だと思っていて、で、それをずっと長きにわたって持ち続けてきたわけです。そしてこれこそが無価値感や罪悪感ゆえなんだと、ようやくわかってきたのです。………遅………。
これまでお弟子講座の同期の何人もから「すごい罪悪感だよね」と何度も指摘されてきていて、その度に内心「よく分からない…」と思っていたのですが、ようやく「これが罪悪感か(☉。☉)!」とわかりました。気付いたからどうなる、でもないのですけれど、やっと納得できたわけです。
そして、さらに進んで自分がこの世に存在すること自体をゆるしたらいいんじゃないかな?というのを何とか感じられるようになってきた、というのが現時点の状態です。限られた「どこか」に居てもいいか悪いかではなく、わたしは生きていてもいい、と思えるようになりました。
とはいえ「わたしは生きていてもいい」という感覚はまだまだ慣れなくて。なぜなら「生きづらい」、「しんどい」とずっと感じていたので、この「重さ」が外れつつあって、身軽になってきているのに(いやむしろそれだからこそ?)違和感がものすごい。
しんどさをみっちり味わい尽くすというのも悪くないでしょうけれど、それはもう良いかな(笑)ということで、今年はもっと自分自身と、大切な方達の「今」にエネルギーを使っていく予定です。
今回もまたまとまりがなく終わりますが、ふぁーこさんがどうぞ暖かく楽しく健やかに過ごせていますようにと祈っています。
めちゃくちゃ♡をこめて☆

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